11番目の勅撰和歌集「続古今集」

続古今和歌集」しょくこきんわかしゅう

勅撰和歌集の11番目
十三代集の3番目

宣下 後嵯峨院

撰者
藤原為家、藤原基家、藤原家良、藤原行家、藤原光俊(真観)

1265年成立

20巻 1915首


「続古今集」は「続後撰集」の王朝復活の伝統的歌風を継承しながら、新興歌人を加えて撰集されている。

主な歌人
宗尊親王 67首
実氏 61首
定家 56首
嵯峨院 54首
後鳥羽院 49首
為家 41首
土御門院 38首
順徳院 35首
知家 32首
真観 30首
良経 28首
俊成 28首


「続古今集」最初の歌
巻1 春上1

名に高き
天の香具山
けふしこそ
雲ゐにかすめ
春や来ぬらむ

by 定家


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最多の宗尊親王(後嵯峨院第1皇子)は、
1252年、11歳で鎌倉幕府第6代将軍に擁立された。
幕政は北条氏が行い、宗尊親王は和歌の創作に熱心で歌会を何度も催し武家を中心とする歌壇も形成された。
宗尊親王の歌道師範は、真観。
1266年、25歳のときに謀反の疑いをかけられ将軍を解任され京へ送還された。
1272年、父・後嵯峨法皇崩御に伴い出家。
1274年、33歳で逝去。

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「増鏡」に宗尊親王が失脚追放された時の歌が残されています。

虎とのみ用ゐられしは昔にて 今は鼠の穴憂世の中

猶(なを)頼む北野の雪の朝ぼらけ あとなきことにうづもるる身は

京に戻っても父の後嵯峨院となかなか面会できなかったそうです。
幕府の意向を伺いながら、会うことができたそうです。
嵯峨院の細心の注意があったのでしょう。

1266年に7代将軍となった惟康親王が、1289年に解任追放された時は、罪人のような扱いで京へ送還されたそうです。

鎌倉幕府の将軍は、北条氏の傀儡将軍ということがよく分かるエピソードです。


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歌壇では、
1275年に、藤原為家が没すると、藤原為氏が御子左家を継承。
その後、家督相続をめぐって対立が起こり、御子左家は二条・冷泉・京極の三家に分裂しました。