勅撰和歌集と百人一首

百人一首は、21ある勅撰和歌集の中の、10の和歌集から撰ばれています。 藤原定家が撰者のひとりとなった勅撰和歌集 「新古今集」からは、14首 「新勅撰集」からは、4首が、百人一首に採られています。 。:+* ゚ ゜゚ *+:。:+* ゚ ゜゚ *+:。:+* ゚ ゜゚ *+:。*勅撰和歌集…

勅撰和歌集 八代集

794年 平安京に遷都905年 ①古今集、成立935~940年 平将門の乱951~953年頃 ②後撰集、成立1006年頃 ③拾遺集、成立1051~1062年 前九年の役1083~1087年 後三年の役1106年頃 堀河院百歌1086年 ④後拾遺集、成立1126年頃 ⑤金葉集三奏本、成立1151年頃 ⑥詞花集、…

勅撰和歌集 十三代集

勅撰和歌集 十三代集鎌倉幕府の征夷大将軍9代のとき1192年 鎌倉初代将軍 源頼朝(源氏)2代将軍 源頼家(源氏)3代将軍 源実朝(源氏)の時「新古今集」成立 ~「新古今集」までの勅撰和歌集を 『八代集』という~~この先「新勅撰集」から「新続古今集」までの勅撰…

1番目の勅撰和歌集「古今集」

1番目の勅撰和歌集古今和歌集=古い歌と今の歌を集めた歌集勅命 醍醐天皇905年または913~914年20巻 歌数は1100首 撰者は 紀友則(きのとものり) 紀貫之(きのつらゆき) 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね) 壬生忠岑(みぶのただみね) 巻首に「仮名序」 紀…

2番目の勅撰和歌集「後撰集」

2番目の勅撰和歌集後撰和歌集勅命 村上天皇953年(天暦7年)頃成立20巻 1425首撰者は 和歌所が宮中の昭陽舎(庭に梨の木がある)に置かれたことから 「梨壺(なしつぼ)の五人」といわれます。「後撰集」撰集と同時に「万葉集」の訓釈作業も行われました。撰者 大…

3番目の勅撰和歌集「拾遺集」

古今集、後撰集に採られずに遺った秀歌を拾い集めた「拾遺和歌集」 院宣 花山院20巻 約1350首1005~1007年頃成立和歌所が置かれず、花山院の親撰(または花山院が藤原長能・源道済に撰進させた) 主な歌人 紀貫之 107首 柿本人麻呂 104首 大中臣能宣 59首 清原…

4番目の勅撰和歌集「後拾遺集」

「拾遺集」から、約80年後に撰集された勅撰和歌集「後拾遺集」 勅命 白河天皇撰者 藤原通俊1086年成立20巻 1218首 「拾遺集」から「後拾遺集」が成立するまでの約80年間は 藤原摂関家の全盛時代 「枕草子」「源氏物語」「和泉式部日記」「紫式部日記」「更級日記」が著された…

5番目の勅撰和歌集「金葉集」

3度も奏上された「金葉和歌集」院宣 白河上皇撰者 源俊頼初奏本、二奏本、三奏本がある。 初奏本 不明 5巻 478首 1124年(全体的に新鮮味が乏しいという理由で)受納されず返却され、上巻のみが伝わり、全体像は不明。 二奏本 717首 翌1125年に二奏本が奏上さ…

6番目の勅撰和歌集「詞花集」

「金葉集」編纂から20年足らずで編纂を下命された「詞花集」 部立は「金葉集」と同じ構成の10巻仕立て。「金葉集」三奏本と重複する歌がある。 勅撰集には、同じ歌は撰ばれないので、「金葉集」は勅撰和歌集と認められていなかったのではないかといわれます。 .。.:*・゚…

7番目の勅撰和歌集「千載集」その1

平安朝末期の激動の直中に成立した「千載集」1156年 保元の乱1159年 平治の乱。後白河院の院政が始まる。平家の全盛期1164年 崇徳院、配流地讃岐で崩御1180年 福原遷都同1180年 源頼朝挙兵、源義仲挙兵1183年 後白河院の院宣により、千載集の撰集が下命される…

7番目の勅撰和歌集「千載集」その2

「千載集」は、 Wikisourceに全巻掲載されてるので全文読むことができます。宣下 後白河法皇撰者 藤原俊成1187年成立歌数 20巻1288首 .。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*序文に 主に後拾遺集以降の歌を撰んだと書かれています。 (今行く先もはるかにとどまらんた…

8番目の勅撰和歌集「新古今集」その1

八代集のラスト「新古今和歌集」は、鎌倉時代初期に成立。平家が壇ノ浦で滅亡し、源 頼朝が鎌倉幕府の初代征夷大将軍となってから、初めての勅撰和歌集。 宣下は、後鳥羽上皇。鎌倉時代1180年 源頼朝挙兵。鎌倉に本拠を置く。1185年 壇ノ浦で平氏滅亡1187年 「…

8番目の勅撰和歌集「新古今集」その2

八代集のラスト「新古今和歌集」宣下 後鳥羽上皇撰者 藤原定家・源通具・藤原有家・藤原家隆・藤原雅経1205年成立歌数 1978首1198年、 19歳で帝位を土御門に譲った後鳥羽院は、近臣たちと和歌を詠み始め 『正治2年院初度百首』を催して、九条家歌壇を吸収し、…

8番目の勅撰和歌集「新古今集」その3

八代集のラスト「新古今和歌集」はWikisourceで全20巻、全文読めます。 主な歌人 西行 94首 慈円 92首 藤原良経 79首 藤原俊成 72首 式子内親王 49首 藤原定家 藤原家隆 寂蓮 後鳥羽院 ・ ・最初の歌巻1 春上1 『詞書』春たつ心をよみ侍りけるみ吉野は 山もか…

9番目の勅撰和歌集「新勅撰集」

「新勅撰和歌集」 勅撰和歌集の9番目 十三代集の1番目 宣下 後堀河天皇1235年成立撰者 藤原定家20巻 約1374首(伝本により違う)1219年 鎌倉幕府3代将軍源実朝が暗殺され源氏が断絶 源実朝の母・北条政子が 摂関家から九条道家の子・頼経(2歳)を迎え後見し…

「続後撰集」「続古今集」

承久の乱後、歌壇は崩壊。後嵯峨天皇が即位する前年に、「新古今集」と「新勅撰集」の撰者の藤原定家が他界し、和歌は衰退期となりました。鎌倉幕府により仲恭天皇は4歳、後堀河天皇は10歳、四条天皇は2歳で即位しその次代後嵯峨天皇(23歳)が即位しました。 後…

10番目の勅撰和歌集「続後撰集」

「続後撰和歌集」しょくごせんわかしゅう勅撰和歌集の10番目。十三代集の2番目。宣下 後嵯峨上皇撰者 藤原為家1251年成立1371首 「続後撰集」と「続古今集」は共に宣下・後嵯峨上皇、撰者・藤原為家(定家の息子) 1241年 藤原定家、逝去1242年 後嵯峨天皇即位124…

11番目の勅撰和歌集「続古今集」

「続古今和歌集」しょくこきんわかしゅう勅撰和歌集の11番目 十三代集の3番目宣下 後嵯峨院撰者 藤原為家、藤原基家、藤原家良、藤原行家、藤原光俊(真観)1265年成立20巻 1915首 「続古今集」は「続後撰集」の王朝復活の伝統的歌風を継承しながら、新興歌…

12番目の勅撰和歌集「続拾遺集」

「続拾遺和歌集」勅撰和歌集の12番目 十三代集の4番目宣下 亀山院(大覚寺統)撰者 二条為氏1278年成立1459首主な歌人 為家 43首 後嵯峨院 33首 定家 29首 西園寺実氏 28首 俊成 22首 為氏 21首 信実 21首 亀山院 20首 九条基家 20首 一条実経 20首 後鳥羽…

13番目の勅撰和歌集「新後撰集」

「新後撰和歌集」 勅撰和歌集の13番目 十三代集の5番目宣下 後宇多院(大覚寺統)撰者 二条為世1303年成立1607首主な歌人 定家 32首 為家 28首 為氏 28首 実兼 27首 後嵯峨院 26首 亀山院 25首 後宇多院 20首 伏見院 20首 基忠 20首 後二条帝 18首 家隆 18首…

14番目の勅撰和歌集「玉葉集」

「玉葉和歌集」 勅撰和歌集の14番目 十三代集の6番目「玉葉集」という命名について 「続後撰集」「続古今集」「新後撰集」とは異なり、八代集の伝統を継承せず、京極派流、革新的歌風を示したいという意図が込められているということです。宣下 伏見院撰者 …

15番目の勅撰和歌集「続千載集」

「続千載和歌集」 しょくせんざいわかしゅう 勅撰和歌集の15番目 十三代集の7番目宣下 後宇多院(大覚寺統)撰者 二条為世1320年成立20巻 2143首主な歌人 後宇多院 52首 西園寺実兼 51首 藤原為氏 41首 二条為世 36首 藤原俊成 29首 藤原為家 29種 藤原定家 …

16番目の勅撰和歌集「続後拾遺集」その1

「続後拾遺和歌集」しょくごしゅういわかしゅう 勅撰和歌集の16番目 十三代集の7番目 鎌倉時代最後の勅撰和歌集宣下 後醍醐天皇(大覚寺統)撰者 二条為藤 (急逝し、二条為定に引き継がれた)1326年成立1353首(21代集で最少)この後の17番目の勅撰和歌集「…

16番目の勅撰和歌集「続後拾遺集」その2

1326年鎌倉時代最後の勅撰和歌集「続後拾遺集」が成立宣下した後醍醐天皇といえば、足利尊氏、新田義貞、楠木正成足利氏と新田氏は源氏の末裔。新田義貞は養子説あり。楠木正成の詳細出自は不明。足利尊氏は、早世した兄に代わり家督を継ぐ。 1324年の「正中…

16番目の勅撰和歌集「続後拾遺集」その3

続後拾遺和歌集主な歌人 藤原為氏 23首 藤原為家 22首 後宇多院 20首 藤原定家 20首 藤原為世 20首 後醍醐天皇 17首 小倉公雄 15首 伏見院 13首 覚助法親王 13首 西園寺実兼 13首 鷹司冬平 13首 藤原俊成 13首 二条為藤 13首 ∶ ∶ 両皇統の歌が撰ばれる配慮が…

17番目の勅撰和歌集「風雅集」その1

「風雅和歌集」 勅撰和歌集の17番目 十三代集の9番目宣下 花園法皇撰者 光厳上皇1349年成立20巻 2211種京極派主導の歌集。 玉葉歌風を継承している。 京極派の為兼が亡くなり伏見院が崩御した後、伏見院中宮の永福門院(西園寺 鏱子)は、伏見院の遺志を受け…

17番目の勅撰和歌集「風雅集」その2

「風雅和歌集」の仮名序を読むと、南北朝の騒乱にあって、乱世が治まることを希求する花園院と光厳院の思いが伝わってきます。 .。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:* やまとうたは、 天地(あめつち)いまだひらけざるより そのことわりおのづからあり。人のしわざ…

17番目の勅撰和歌集「風雅集」その3

「風雅和歌集」主な歌人 伏見院 85首 永福門院 68首 花園院 54首 為兼 52首 為教娘為子 39首 定家 36首 後伏見院 35首 光厳院 31首 徽安門院 (きあんもんいん) 30首 俊成 28首 進子内親王 28首 貫之 28首 永福門院内侍28首 後鳥羽院 27首 為家 26首 儀子内親…

風雅集 その4 永福門院

「風雅和歌集」の勉強のために日本詩人選14「式子内親王・永福門院」を読みました。 昭和47年発行の古い本。10代の半ばで敗戦を知った作者・竹西寛子さん。 「心」という言葉が好きだそうです。 永福門院は「冷たい世界に旅されている」と表現しています。永…

風雅集 その5 花園院の歌

「風雅集」の勉強のおしまいに 「続後拾遺集」その3で書いた花園院が残された詞をもう一度書いておきます。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆.。.:* 花園院の記した「誡太子書」(かいたいしのしょ、太子をいましむるのしょ)冒頭に、 君主のために国家人民があるのでは…